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パリが美しく見られる映画

アンジェラ C階段 パリ空港の人々 パリ・ジュテーム アメリ ポンヌフの恋人たち

 私の人生に、はじめて「Paris」という名前が登場したのは、小学校1年生のときでした。赤ちゃんのときからずっとかわいがってくれていた叔父が、エールフランスに就職してパリに飛んだのです。ある日、わが家のポストにエッフェル塔の絵葉書が届きました。なつかしいおじちゃんの字。

「おじちゃんはいま、おフランスにきています。シャンゼリゼーという通りにカフェ・フーケツというお店があります。そこにすわって、がいせんもんを見ながらこのてがみをかいているよ」。


 私が、はじめてパリに触れたあの日。昭和42年。まだまだ海外旅行は庶民にとって夢のまた夢でした。
 おじちゃんは、結局2年でエールフランスをやめて、日本の出版社に転職してしまいました。だから、私の手元に残ったのは、そのエッフェル塔の絵葉書が一枚と、はじめての渡仏のときに買ってきれくれたおみやげの、水彩絵の具だけ。

 でも、その水彩絵の具を私は今も手に取るように思い出せるのです。日本では見たこともない、やわらかく夢見がちな水色のホーロー製のパレット。丸みを帯びたパレットをパチンと開くと、片側は真っ白なパレット、もう片側には、日本の基本色とは微妙に違う18色の水彩絵の具と、真っ赤な柄のついた筆が納まっていました。私にとってのパリは、そんな18色の水彩絵の具から始まりました。「シャンゼリゼーのカフェ・フーケツで、いつかがいせんもんを見ながらコーヒーを飲もう」。7歳の私が抱いた、パリの夢。

 最初に出会った街の印象が強烈だったからなのか、それとも、江原啓之さん流に言えば「前世にパリに住んでいた」からなのか(笑)。パリは、その後の私にとってなくてはならない存在になりました。生まれてはじめて一人でいった海外旅行もパリ。新婚旅行でも寄ったし、ともだちとも、恋人とも、子ども幾度となく訪れました。ヨーロッパもアジアも南の島も、旅行好きの私は結構訪れたと思います。でも、やっぱり最後に戻ってくるのは、パリ。ここ数年は、ほぼ毎年パリに寄っているといってもいいぐらいです。いつでも、行きたいです。訪れるたびに、新しい発見があります。いつか、住んでみたいと真剣に考えています。フランスかぶれといわれたっていいんだもんね。だって、私はパリが大好きなんだもん!

 そんな私が選んだ、パリの街が美しく見れる映画。パリを舞台にした映画は数多いですが、私がお気に入りのパリの風景があるのは、こんな映画たちです。

アンジェラ スペシャル・エディション アンジェラ スペシャル・エディション
ジャメル・ドゥブーズ (2006/10/20)
角川エンタテインメント

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 「グランブルー」でブレイクしたリュック・ベンソンは、その後「TAXI」などで娯楽路線を走っていましたが、新作「アンジェラ」では大人の寓話をモノクロの画面で美しく描きました。

 これは、さえない男アンドレと、天から降ってきた天使アンジェラの不思議な恋物語。セーヌ川、エッフェル塔、ノートルダム寺院とシテ島の古本市。中心部を貫く金箔に彩られたアレクサンドル3世橋に、国立美術学校に続くポン・デザール。一番美しい「観光地パリ」のダイジェスト。モノクロですが、色がない分、ため息ものに美しいパリの風景が堪能できます。おとぎ話なのだから、市井の裏道には入っていきません。あくまで王道のパリ。観光地パリの風景をこれほど美しく描いた映画は、ほかにないかも、と思います(ほめすぎか>笑)。風景を見るだけでもいいから、また見たい映画。

C階段 C階段
ロバン・ルヌッチ、ジャン・シャルル・タケラ 他 (2000/08/19)
ポニーキャニオン

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 私にとっての「This is Paris!」を1本選べ、といわれたら、迷わずこの映画。

 主人公は新進気鋭の美術評論家。彼の住むアパルトマンの中央にあるC階段をめぐる、住民たちの群像劇です。ここにあるのは、市井のパリ。そして、芸術と文学と、恋とデカダンのパリ。プレイボーイの主人公が女性を誘う手管が、This is Paris! カフェで繰り広げられる会話が、This is Paris! シニカルで個人主義で、退廃的。そんなフランス人の彼が、C階段をめぐる人々との交流の中で、変化をしはじめます。

 印象派の絵などクズ同然とはいて捨てていた美術評論家の彼は、最後に一枚の絵の前で涙が止まらなくなります。何の絵だと思います? テュイルリー公園にあるオランジュリー美術館の1Fにあったルノワールの「じょうろを持つ少女」。こんなものは絵ではない、と切り捨てていたルノワールの絵の中に、彼は何をみつけたのでしょうか。詳しくはぜひ映画で! これは、ほんと大好きな映画の1本です。

パリ空港の人々 パリ空港の人々
ジャン・ロシュフォール、フィリップ・リオレ 他 (2003/12/20)
ビデオメーカー

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 ちょっと前にトム・ハンクス主演で、スピルバーグが作った「ターミナル」。作られたのは「パリ空港の人々」の方が先で、おそらくこれにインスパイアされた「ターミナル」製作だと思うのですが、元をたどると実話のエピソードがあるのだそうです。とにかく、私は、絶対にこちら「パリ空港の人々」のほうが好き!

 舞台は、シャルル・ド・ゴール空港。手違いで空港を出られなくなってしまったジャン・ロシュフォール。大改装前のCDG空港の風情が、なつかしく見られます。この空港に住む、住所も国籍もない人々とロシュフォールの数日間を描いたこの映画。
 秀逸なのは、パリに着いたにもかかわらず、一度も外に出られないまま空港で暮らし続けている少年のために、ロシュフォールが地下室のテーブルの上に造ったパリの街。

「ほら、ここにあるのが凱旋門だ。まっすぐ歩いていくと、パリの中心にはセーヌ川が流れている」。

 ロシュフォールがテーブルの上におもちゃのエッフェル塔、コーヒーカップ、消しゴムでパリの街を作ると、とたんに地下室の中に華やかなパリが出現しはじめる。人って、想像力でここまで美しいものが見れるんだな、と思います。テーブルの上の小さなパリ。私が小学生のときに夢見たパリが、そこにありました。

 この後、彼らは本当に空港を抜け出して夜のパリに飛び出します。セーヌ川のバトームーシュ、ポンヌフのイルミネーション、そしてエッフェル塔。誰もが、生まれて初めてパリを見る少年のまなざしで、美しいパリを堪能できるはず。このパリの風景も、最高に美しい1本だと思います。

パリ・ジュテーム(公式サイトはこちら)
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これはまだDVD化されていない1本。パリには、エスカルゴ状に18の区があって、この18区は、それぞれ強烈な個性があります。この18区ごとに、一人づつ監督がついて、5分のショートストーリーを撮ったオムニバス映画。4区、アーティストが多く住むマレ地区では、ガス・ヴァンサントがメガホンと取ったゲイのガスパールのショートストーリー。9区の歓楽街ピガール広場では、倦怠期を迎えた妻ファニー・アルダンが刺激を求めてバーのカウンターに座ります。もちろん東京も、23区の特徴はあります。でも、練馬区の1本、北区の1本、杉並区の1本なんて、23個見せるだけの懐があるかというと、ちょい疑問。1~18区の風景だけでこれだけのストーリーがあることにも驚きますが、その呼びかけに世界からこれだけの監督が集まったことにも素直に感動。ここにあるパリは、素顔のパリです。だーいすき!
この映画のイントロダクションにあるコピーが、私にとってのパリそのものかもしれません。



いろいろある人生だけれど、私たちには、パリがある。

パリ、ジュテーム(パリ、愛してる)。


ほかにも、「アメリ」「ポンヌフの恋人」など、パリが素敵な映画がいっぱい! パリにいけないときは、そんな映画を見てうっとりする私なのでした。
ああ、また行きたいなあ。次はいつ行きましょうか。
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映画で旅をするーリスボンサプリ

靴に恋して

靴に恋して 靴に恋して
アントニア・サン・ファン (2005/05/25)
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ

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 大阪に、民博という博物館がある。日本が高度成長期に「万博」という一大イベントをやらかして、その跡地のあたりに建てられた、大きな大きな博物館だ。私はこの民博が、結構好きだ。私には、たまに訪ねていって、その場所で自己確認したくなる場所が世界に何箇所かあって、この民博はそのうちのひとつ。この場所に身をおくことで、いろんな発見があるから楽しい。

 そんな場所で何の発見をするのだ? というと、自分の前世を確認するのである。

 おお。やばいぞ、ももせ。おまえもスピリチュアルブームに踊らされているのか。本気で前世を信じていて、オーラでも読んでもらいながら「前世は中世ヨーロッパの音楽家でした」とでも言ってもらいたいのか。え?
 などと思う方もいらはいますでしょうけれど。私、前世は信じなくとも、世界各地にある「デジャブ」はどこかで信じているところがあるのです。別に魂が生まれ変わったと思っているわけじゃないけれど、でも世界を旅しながら、ふと、「あ、ここは前に来たことがあるような場所だ」とか、「この風景に心底和むなあ」とか、そんな妙な感覚に陥ることって、誰でもあるんじゃないのかね。で、そういう場所に出会うと、なんだか魂が潤されたような気分になって、気持ちがいい。

 以前、誰かしらに「人間の吐く息には数え切れないほどの分子が混じっていて、その数の膨大さを考えたら、自分の吐く息が拡散しつづけて、そのうちの分子1個が地球の反対側にいるヒトまで届くことだって、ありうると思うんだよね。ということはだね。考えようによっては、今、自分はクレオパトラの吐いた息の分子の1個を呼吸しているという可能性も十分にあるわけだ」という話を聞いたことがあって、これはかなりのインパクトをもって、私の記憶に刻み込まれている。
 つまりは、スピリチュアルとかそういう部分は別にして、そんな風に分子レベルで拡散していった記憶みたいなものが、私の遺伝子のどこかに組み込まれていると考えてもいいじゃないの、と。そんな風に、世界のどこかの記憶が自分の中に眠っていると考えて、いろんな場所を訪れるというのも、また旅の楽しみのひとつじゃないの、と思うわけなのだ。

 で、民博。
ここは、世界各国の民俗学的に有意義と思われるさまざまな道具や衣類、住居などが展示されている。この博物館の中を徘徊するだけで、長い歴史をタイムとリップしながら、世界を旅したような気にもなれる、稀有な場所だ。
 最初にこの場所をおとずれたとき(まだ20代半ばだった)、思いがけず不思議な感覚にとらわれて、それがいまだに忘れられない。
各国のコーナーに身を置くたび、自分の身体感覚が変わるのだ。ああ、ここは居心地がいい。とってもなつかしいと思う場所があれば、いてもたってもいられないほど居心地が悪い場所もある。これはもう、理性で理解できることではなくて、体が即時に反応するというとても不思議な体験だった。
 こんなおかしな旅を民博で続けた結果、どうも私はアジア方面、およびアメリカ、オーストラリア、アフリカ方面にはめっぽう弱く、ヨーロッパからロシアを抜けてモンゴルにいたるまでの地域に、からだが同調することが判明したのであーる!>笑。
 ま、能天気なおふざけみたいなものだったけれど、そこに展示されているものを見ながら、「ああ、これはなんだか握った感触までわかるような気がする」とか、「こんな場所にあたしは住んでいて、こんな窓から外を眺めていたような錯覚」などにとらわれたりするのは、かなりおもしろい。えっと。こんなこと考えるのは私だけですか? うーん。でも誰かしらにも、似たような体験はあると思うのだよね。
 だから、世界を旅することを始めたヒトの中には、特定の国にはまるヒトがいる。ああ、ここの空気が気持ちいい。ここにいるヒトが楽しい。ここのごはんがうまい。この場所にいると、自分がすごく自分らしくいられるぞーーー! なんて場所が、世界のどっかにあるって思うのは、とっても楽しい出来事だと私は思う。

 で、そんな体験が、映画の中でもできるよねというのが、今回のコラムの主旨なのだ(前置きが長すぎるって!)。

 誰もが世界のあちこちを旅できるわけではない。でも、映画の中で主人公の目線から、世界の都市を見て歩き、そこにある風景や空気感を楽しむというのも、また映画の楽しみの一つではないかと私は思うのだ。よくある観光目的のルポ番組や、名所を回る旅の番組と違って、映画にはそこに暮らすヒトの目線で捉えた都市の風景が、暮らしを伴った空気感とともに存在している。ガイドブックをめくるより、観光マップを見るより、映画に息づく街を感じる中で得られる「ああ、この場所!」という直感は、かなり信じていいんじゃないのかな、ってあたしは思う。

 そんな風に映画の中でであった街の風景のひとこまにノックアウトされて、「ああ、いつかここに絶対に行きたい!」と思いながら、日々の暮らしをまた積み重ねて、そんな中で、旅の機会が訪れたら、その地を候補のひとつに加える。
 で、実際にその場に立ったとき、あの日、あのとき見た映画のワンシーンが心によみがえって、また、もう一度映画を楽しむんだ。10代の頃からずっとずっと映画を見続けて、いろんな経験を経て大人になって、やがて自分の自由になる時間やお金がそろそろでき始めたなあ、と感じるこのごろ。そうして、いろんな場所を訪れる機会が増えてきた40代の私が、しみじみ「映画っていいなあ」と思うのが、そんな風に自分の中に残った映画のワンシーンと再会するとき。そして、そこにいる自分自身に、改めて向き合うとき。だから、いまだに映画はやめられない。

 今回は、そんな風に映画の中のふとした風景にノックアウトされて、あれよあれよと導かれるようにその地を訪れてしまった、リスボンのお話。

 「靴に恋して」は、スペイン映画だ。舞台はマドリッド。リスボンではないよ。それでも、この映画を見て、私はリスボン行きのチケットを迷わず買ってしまった。理由は映画の最後でわかります。

このお話は、 23歳の高級靴店の店員、49歳の娼家のオーナー、43歳のタクシー・ドライバー、25歳の知的障害者、45歳の高級官僚夫人の5人の女性が、それぞれの愛の形を探して苦悩したり、試行錯誤しながら、自分を探していく姿を丁寧に描いた作品。「靴」が全編を通しての小道具になっていて、原題はPIEDRAS。つまり、石ころという意味で、5人の女性たちがちょこちょこつまいづていく、人生にころがる石ころを指している。
邦題はちょっと狙いすぎた感があるけれど、靴はひとつのメタファーで、小さな靴を履く女、盗んだ靴を履く女、スニーカーを履く女、スリッパを履く女、扁平足の女…と、登場人物はそれぞれ特徴的な靴をはきながら、自身の向き合う現実と格闘していく。誰もが自分にぴったり合う靴を探しているのだけれど、それはそう簡単にはみつからないね、というわけ。

スペイン映画というのは、一種独特な空気感を持っていて、これが苦手なヒトはどうにも相性が悪い部分があると思うのだけれど、私はこの空気感がなんともいえずに好き。特に、出演する俳優に有名人や美形がおらず、「おいおい、この顔で映画俳優?」というぐらい強烈な風貌を持つヒトが多く出演しているのも、映画がひりひりとした現実感を持って心に響いてくるゆえんだと思う。とにかく、この映画の登場人物も、強烈ながら、スペインの街角のどこにでもいそうな普通の女性たちで、そんなリアリティが、この映画の魅力でもある。美化されて、ファンタジーになりがちな恋愛映画の中で、このあまりにリアルな5人の日常に「愛も、恋も、そう一筋縄でいくもんじゃない」という現実にしばし向きあうことになるし、でも「やっぱり愛が欲しい」私たちと、愛によって生かされていく人間って存在の、悲しさや強さが、最後にがっしり残る。うまくいかない恋愛の記憶があるヒトなら、彼女たちの誰かに必ず感情移入できるはず、なんて思う。

かくいう私も、しっかり一人に感情移入した。その主人公が、最後の最後に訪れるのが、リスボンなのだ。

映画の舞台はマドリッド。牧歌的叙情の残るスペインの各都市と違って、マドリッドは喧騒に満ちた大都市だ。そんな都市の中での試行錯誤に疲れた彼女は、発作的に車でリスボンをめざし、港の見えるリスボンのカフェの前で、同行者の運転する車を降りる。「しばらくここにいるわ」と言い残して。

映画は、ここで終わる。

リスボンが映るのはこの、ほんの数分間だ。その数分をもってして、強烈に心に焼きついたこの地を、私は去年訪れた。喧騒の果ての癒しの場所。何もないけれど、その場に立ったら「しばらくここにいる」と思わせる何か。
東京での長い長い試行錯誤の中にいた私にとって、リスボンは「ふと通りかかる癒しの地」としてのアイコンになったのかもしれない。永住でもなく、答えがあるわけでもなく、ただしばらくいたいと思わせてくれる何か。また、いつもの自分の暮らしに戻るためのちょっとした寄り道。サプリのようなもの。

ポルトガルは不思議な国だと思う。
時がどこかで止まった、ヨーロッパの突端で取り残された国。なのに、朽ちていない。上手に成熟しながら、力むことなく、怠惰に停滞しながら、生きる活力に満ち溢れている。リスボンの海に近い、ひっそりとたたずむ間口の狭いビストロの並ぶ坂道は、午後の日差しの中で一瞬廃墟のような様相を垣間見せるのだけれど、細長く続く入り口の先には、炭火で焼いた魚介類や、丁寧に煮込まれた臓物などをポルトワインやビールで楽しむ人々が、ぎっしりと存在している。禁煙をうたう店はなく、目抜き通りには物乞いがあふれ、路地には物悲しいファドの調べがたゆたっているのに、どの店も清潔で、道路にも駐車場にも風に舞い上がるゴミの姿がない。
そして、アズレージョと呼ばれる美しいポルトガルのタイルが埋め込まれた、古い古い石造りのささやかな建物の中で、人々は力むことなく、当たり前のように実直に働いている。リスボンは、そんな町だった。

で、そんなリスボンという場所は、まさに「もうちょっとここにいたい」と思わせてくれる安らぎに満ちていて、私は自分のたましいが、しっかりここの空気に同調して癒されるのを感じて帰ってきた。私の遺伝子が覚えている何か。港の空気、朽ちていく文化、明るさだけではなく、苦悩をもはらんだ哀愁の調べ。疲れたこころが、そんなサプリで癒される。ここにいていいよ、戻ってきたね、なんていわれているような気になる。
こんな場所を教えてくれて、ほんとにありがとう! と映画に感謝しちゃうのだ。

あこがれ続けた場所でも、有名な観光名所でもない、ちょっとした町の風景の中に、自分を癒してくれるサプリが潜んでいる。そんな楽しみがあるから、映画はやめられない。

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