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映画を見る楽しみ 切り取られた映像

映画って、なぜ観てしまうのだろうなあと思います。
私、いったい映画の何が好きでこんなにいつも観ているんだろうって。
ロードショーで動員がかかる娯楽大作はあまり観ません。歴史的な史実とか、世界でおきていることのドキュメントを、知識がほしくて観ることもほとんどありません。

まあ、文化や娯楽に意味を求めても仕方ないわけで、ありきたりだけど「ただそこにあるから観る」っていうのでいいんでしょうけど。
でも、おこずかいを握り締めてせっせと通った、中学時代の国立の名画座「スカラ座」からはじまった私の三十ン年の映画人生の中、本でも音楽でも絵画でも写真でも漫画でもなく、「映画」でなくちゃだめ、って思ってる何かがある気がして。
私にとっての映画の魅力っていうのを、ちょっとつらつら考えてみたわけなのでした。

で、思い出したのがこの映画です。

エンゼル・ハートエンゼル・ハート
(2003/02/21)
ミッキー・ローク

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もうかなり古い映画ですね。ミッキー・ロークがまだ若くてかっこいいといわれていた頃。なつかしい。
このミッキー・ローク演じる私立探偵が、依頼人ロバート・デ・ニーロが「探してくれ」と提示する一人の男を追うところから、物語は始まります。次第に巻き込まれていく錯綜した世界。交錯する記憶。さて、主人公が探し出したその男の正体は?

ホラーの金字塔とも言われる映画です。今見ても、新鮮に面白い。

中でも、主人公の私立探偵ミッキー・ロークが住むアパートのエレベーターが動くシーンが秀逸。画面を斜めに切り裂くような、大胆な光と影のコントラスト。そのコントラストがエレベーターの運転でダイナミックに動くのと同時に、扉が閉まる音、階下に到着する鋭角的な金属音が、ガシャーンと覆いかぶさってくる。

目的地に到達するまでの間に行きかう人々や、街の映像もじつによく計算されています。最後に何の関係もない場面でほんの数秒映し出される「ある人物」の横顔。これは公開当初非常に話題になったようですが、もし見る機会があったら、ラストシーンで主人公が宿泊するホテルに戻って刑事と遭遇する場面で、渡り廊下に座っている黒いマント姿の男の横顔を、一時停止してみてみてください。にやにやにや。


「なぜ映画を見るのか」。
その答えにこんな映画を持ってきたのは、たぶん私にとってこうした「切り取られたある映像の一場面」というのが、とても大きな力を持っているからなのだろうな、と思うから。別に名場面でも、話の主要部分でもないのだけれど、通り過ぎる風景とか、話のふとした傍らでみつけだす映像のワンシーン。そんなものに遭遇するのが、何よりうれしいのだと思うのです。


人には、それぞれの感性のチャンネルがあると思います。自分の感情や表現をいちばんしっくりあらわすことができるチャンネルは、人によって違う。
多くの学問や情報伝達は「言葉」に依存しているので、誰かに何かを伝えるときは「言葉」を介在することが多いのだけれど、でもみんながそれで腑に落ちるわけじゃない。

たとえば耳にチャンネルがある人もいます。こういう人は音楽のほうがしっくりくる。からだにチャンネルがあれば、運動やダンスなど、身体表現を使うことで表現できることもある。つまりは、感情の入り口と出口をつかさどるチャンネルは、人それぞれありかが違っているわけで、誰かに何かを伝えるときも、何かを受け取るときも、そんな自分のチャンネルのくせがわかっているほうが、うまくい。

それでいくと、私のチャンネルは圧倒的に「目」「視覚」にあります。学校のノートも図でとることが多かったし、今の自分の気持ちをあらわすのに、言葉より色がぴったりくることも多いです。
だから、本を読むことも、文章を書くことも好きだけれど、やっぱり一番自分らしいと思うのは、目のチャンネルを使う世界。

中でも映画。
絵画も写真も大好きだけれど、それとはまた別格の何かがあるんです。
何なんだろうと考えていて思い当たりました。

絵画も写真も、それは「作家の自己表現」です。
このアングルを見て。この風景を見て。そうして作家が切り取って差し出す一枚の絵や写真の前に立つのとは違い、私が「エンゼルハート」の中で見出したエレベーターのぞくぞくするようなワンシーンとか、これから紹介する映画の中にみつけた忘れがたいワンシーンは、作り手が用意した映像の中から、「私が」自分の目で選びだした一瞬なんです。

そうだな、いわば骨董品の山の中から「これこれ!」とたったひとつのお皿を選びだすような。(もちろん、作り手はちゃんと意図して作った映像だろうし、それを選ぶ人たちはたくさんたくさんいるわけなんですが、でも「私が探し出して自由に選ぶ」という行為が許されているという意味で、映画というのは絵画や写真とはまた別の、「目」の仕事を生み出すのだろうなあ、と思います。これはストーリーや映画の出来とはまた別の世界)。

そんな「目の楽しみ」を残してくれるという意味で、映画は私にとってかけがえのない存在なのだ、と思います。

この悦楽みたいなものって、映画の写真集じゃだめなんだよね。切り取って見せられてもあまり感動しないんです。あくまで、自分が切り取る。年齢やそのときの状態によって、切り取られる映像はどんどん変わります。そんなことを発見するのも、また楽しい映画の楽しみなのでした。


忘れられない映像がある映画はたくさんたくさんありますが、若い時代に多くの記念碑的な「切り取られた映像」を残したのはこんな映画たちでした。もう古い映画で、語りつくされている分もあるけれど、若い私にとっては衝撃的な映像の詰まった、忘れがたい作品でした。


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注:最後の1本は純粋に「切り取られた映像」だけを楽しむ映画>笑 おもしろい、というのとはまったく別の映画なので、ご了承をー。


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