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ソウルフードと家庭回帰への違和感

ソウルフード かもめ食堂

 いま、日本が大変なことになっちゃってる、と武蔵野婦人は思っています。何が大変って? そりゃ、すでに存在もしていないはずの「家庭」を幻想として消費しようとする人々が増大しはじめ、一億総幻想として「家庭教」を普及させようとするお偉いさんの思惑に簡単に乗っちゃったかあちゃん、とうちゃんたちが、こぞって「家庭ごっこ」を始めちゃっているからなのでありますわ。書店の書架をごらん遊ばせ。ビジネス書コーナーに「子どもの学力を伸ばすための休日の過ごし方」をとうちゃんに指南する雑誌が並び、頭の言い子を作るための毎日の献立だの、子どもを格差の下流にしないための指南書だの。気持ち悪―い本がいっぱい売れているのでございますことよ。


 しかも、こうした家庭はどうやら「上流」と「下流」に仕分けされて、格差もつけられているらしい。「家庭力」に敏感な人たちは、どうもみな自分たちを「上流」、もしくは限りなく上流に抵触する中流と考えているらしく、勝手に想定した「下流」にならないための秘策をあれこれ、みんなで顔つき合わせて考えている。このあたりの指南書と見ると、どうやら下流というのは「収入が少ない」「知的レベルが低い」「社会的地位がない」ということになるらしく、下流の子どもというのは「成績が悪い」「素行が悪い」ということになるらしい。で、おしなべて語られる「格差社会が教育格差を生む」ということになると、つまりは膨大にかかる教育費を負担できない低所得家庭は、子どもに十分な教育機会を与えられないために子どもは下流に落ち、そこから這い上がることはできない。。。。という、いとも恐ろしいアルマゲドンが語られているわけですの。

 私の周囲では、この論理にのっとって「公立中学、公立高校にしか行かれない子は格差の下流である」という、わけのわからんことを言い出す人もおる始末で。こうした、恐怖をあおる形でのプロパガンダに加担する書籍、雑誌情報などは、もうやめていただきたい。これね、結局は社会格差の原因を「家庭」に帰結させるという権力側の巧みな作戦に乗ってしまうことになるわけで。さらにいえば、子どもの教育問題、健康問題、体型の変化や情緒の変化、マナーの欠如や学力低下を、すべて「家庭」の責任にして逃げ切ろうとするおっさんたちのもくろみに他ならない、と武蔵野婦人は思っておりますのよ。

 こんな卑怯なプロパガンダに乗ってはいけません。おかあちゃんたちは胸を張って、「下流がどうした、いいかげんな子育てで何が悪い!」「こどもの学力向上、体力と体型の向上は国がきちんと責任を取れ!」と開き直れ。そのくらいでもう、ちょうどいいんじゃよ、今の時代は、と。切に、切に思うこのごろなのであります。(このあたりについては、現在発売中のAERAにて「格差の上流にいる人が、人間として尊敬できるかどうかというのはまったく別の問題でしょ?」ってなコメントを武蔵野婦人は寄せておりますので、よかった見てくださいまし)。


 と、ひとしきり吼えてみましたが>笑。今回取り上げたいのは、こうした「家庭力」回帰という卑怯なプロパガンダの横行の中で、繰り返し唱えられている「ごはんをきちんと作りましょう、おかあさん」というメッセージへの反論であります。

 朝食をきちんととりましょう、というのは政府主体で行われている「食育」の基本方針で繰り返されている定番のメッセージ。さらに、ここに百ます計算で有名な陰山英夫さんの主張である「朝ごはんは、お米を食べよう」とか「早寝早起き」で規則的な生活を、なんていう文言が重なり、プラスアルファで「成績のいい子は食生活もきちんとしている」となり、もっとびっくりなのは「成績のいい子の母親は料理が好き」(格差が遺伝する! ~子どもの下流化を防ぐには~ (新書) 三浦 展 (著))というとこまで敷衍して、いまや、おかあちゃんはごはんをきちんと作ることに必死こいている日々です。頭のいい子に育てて、上流をキープさせてやるために、ごはん力が求められているということですね。

 で、ここで繰り返し語られるのが、「日本人は、やはり日本食が一番」であって、日本のソウルフードである、米、野菜、魚を中心とした食事をきちんと規則正しく食べさせてやることが、子どもの暮らしを支えるということになるわけです。現在は、ここに巷のナチュラル・ロハスブームが重なって、玄米菜食だの、自然農法で作った減農野菜だの、マクロビオティックだのにはまって、夢見がちなまなざしでオーガニックフードの料理を作る人たちも出てきました。そうですね。やっぱり、「おかあちゃんの作る料理」は一番で、そのルーツは日本のソウルフードに帰結する。お袋の味万歳、ソウルフード万歳。

 うん、ま。いいんです。それはそれで。私だっておいしいものは大好き。そして「ソウルフード」という魅力的な言葉も好き。うまいもんは、うまいんだもん。それでいいじゃんね。からだが欲するものを食べ、作りたいものを楽しく作り、元気にうまいうまいと食べて暮らせたら一番。これは、別に子どもを上流にしたいからとか、食育をしなくてはいけないとか、そんなものとは関係のない場所で、自分がそうしたいから、そうしているわけで。そこに「ソウルフード」が存在するなら、それはそれでいいんです。


 問題は、そんな「ソウルフード」を必要以上に美化して、主に「家庭」に存在する女性に、「ソウルフード」の製作と維持を期待してしまう精神構造にあるのだ、と私は思うのです。時代が変わって、世界も変わって、食も変わらざるを得ない場所に来ているのに、必要以上の懐古をしてはいけない。女性が台所を守って、ソウルフードを守ってきた背景に、どれだけの血と汗と涙が潜んでいるのか。このあたりを無視して、壇上にいる人たちが美化してはいけません、と。そう思ったきっかけになったのが、この映画でした。

ソウル・フード ソウル・フード
ヴァネッサ・ウィリアムス (2005/04/28)
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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 これはアフリカ系のアメリカ黒人家族の絆を描いた映画。3人姉妹のいる祖母マザー・ジョー(イルマ・P・ホール)は、手料理のソウルフードを作って日曜日のディナーを毎週催すことで、家族の絆を保ってきた、グレードマザー。奴隷の時代を記憶する彼女は、自分たちのルーツをしっかり見据えながら、「家族は団結しよう」とおいしいごはんを作り続けるわけです。 でも、そのマザー・ジョーが病気で倒れてから、家族にはさまざまな試練が訪れてばらばらに。失われた家族のきずなを取り戻すため、主人公の少年がとった行動とは?

 この映画を貫いているのは3つの柱です。黒人の平坦ではない被差別の長い歴史、家族のすばらしさ、ソウルフードという大きな存在。
家族大好き! な人が見れば、さわやかな感動に満ちた映画だと思います。とっても素直。とってもシンプル。 ただ、ではこの映画を持ってして「そうよ、家族はすばらしい。私たちも家族でつながろう、家族で乗り越えよう」と思えるかというと、武蔵野婦人としてはちょっと微妙。これは、長い差別の歴史の中で家族で団結せざるを得なかった時代に、女がひりひりと血を流しながら必死で生きた結果の「おばあちゃんのソウルフード」なわけで、それをそのまま今の日本で「家族ってすばらしい、おばあちゃんの料理ってすごい」と結びつけることは絶対に、絶対にできないのよ。

 料理っていうのはね、何の力も権利もない女が、唯一力をふるえる場所であったのだと思うのです。おばあちゃんのソウルフードは、ノスタルジィだけではなく、女の血と汗と涙が混じっている。特に、差別社会に生きたアメリカのアフリカ系黒人のおけるソウルフードのありかは、イメージだけで「家族ってすてき!」なんて私しゃ語れないよ。

 簡単に「昔ながらの家族礼賛」をしたがる人には、その幸福な家族の風景の後ろ側には、女のたくさんの涙があるんだよ、と言ってやりたい気にもなります。


 ちょっと前のことになりますが、心理学者で文化庁長官であった河合隼雄さんとお話をさせていただいたとき、こんなことをおっしゃっていました。「おっさんたちはね、みんな昔はよかったとか、古き日本にはよい家庭があったとか言うんだよ。そういう人たちは、そうして維持されているかのように見えた家庭の裏側で、どれだけ多くの女たちが血と涙を流していたのかを知らない。日本の古きよき家庭は、その裏で誰かしらの試練や我慢や大きな犠牲をもとに成り立っていた。そこを見ないで「昔はよかった」なんて今の時代に繰り返しても、なんの現実味もないの」。

 私の祖母も、ソウルフードの作り手でした。おばあちゃんのお正月料理には、すべての家族がひれ伏した。夫や姑の強い権力の下で、常に服従を強いられていた彼女が、唯一家族全員を有無も言わさずひれ伏すことができたのは、彼女の牙城、台所においてしかなかったのかもしれません。それが、女が現実を生き抜くための最大の武器だったのだ、と。

 そんな風に考えると、私は簡単に「おふくろの味が一番ですよ」だの、「日本人のソウルフードを守りましょう」なんて、いえない敬虔な気持ちになったりもするのです。

 安易な家族礼賛、安易な家庭回帰と家庭力への依存。幻想として維持されているイメージの中の「家庭」像には、見えない犠牲や血と汗と涙が隠れている。そこを誰も引き受けなくなっている現代で、安易に「家庭」幻想に固辞してしまったら、そのしわ寄せはいったいどこに行くのでしょうか。
 母親の首を切ってバッグにつめて歩いていた高校生。両親を殺してひとり温泉に滞在していた中学生。一件、何の問題もない「家庭」の形をとった場所で起きている「何か」。


 なんかいい雰囲気なんだよねー、なんてロハスな気分で「ソウルフードが一番うまい」というメッセージを受け取るたびに、なんとなく警戒心をいだいてしまう私は、やっぱりどこかひねくれているのかもしれません。こんな映画が流行るのも、なにやら複雑な気分なわけで。(雰囲気がおしゃれで素敵で、ロハスだよね~なんていう夢食いバクみたいな映像が、なんだか最近は多すぎる気がするんだわね)。

かもめ食堂 かもめ食堂
小林聡美 (2006/09/27)
バップ

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とりあえず、上流なんてならんでいい。下流なんてカテゴリー自体が、世の中にはないし、誰かにあんたは下流なんていわれる筋合いもない。結果を求めて日々の暮らしを送るのではなく、欠けていたって、足りなくたって、いとおしい自分自身と家族のありのままの姿で、日々楽しく暮らせればそれでいいじゃん、と私などは思うのであります。カップヌードルだってあたしにはソウルフードだもんねー、だ。



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