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結婚と家族の衣をまとった幸せの手札

 いつもと違って、のっけから今日は1本の隠れた傑作を紹介したいと思います。今日取り上げたい映画は、これ。フランスで起きたヌーヴェル・バーグの一連の監督たちの中で、唯一、そう唯一ですよ。女性の映画監督として作品を発表し続けたアニエス・ヴェルダの「幸福」です。
幸福 幸福
ジャン・クロード・ドルオー (2005/03/25)
アイ・ヴィー・シー

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私にとっては、ずっしり重い記憶を脳裏に残した大事な映画なんです。でもね、映画自体はまったく重くも、深刻でも、難しくもない。ここにあるのは、全編を通して淡々と映し出されていく、幸福な幸福な家庭の風景。フランスの郊外の小さな愛らしいマイホームに、ルノアールの絵画のような田園の風景と、美しい音楽。どこもかしこもが、私たちが子どもの頃から抱いてきた「幸福な家庭」のイメージで満たされています。
小坂明子の「あなた」という歌をご存知でしょうか。この映画にあるのは、あの歌で歌われたそのものの風景なんです。郊外の小さな愛らしい家。かわいいキッチンに、つつましい寝室。窓辺にはやさしくレースのカーテンが揺れ、愛らしい子どもたちが父の帰りを待つ横で、妻は決してラクではない暮らしを支えるために、得意の洋裁を生業としています。彼女の腕は確かなようです。「ぜひあなたに縫って欲しいの」とウェディングドレスを遠くから依頼に来る親子がいることからも、彼女が信頼されていることがわかります。大切なそのドレスを、彼女は小さな仕事部屋のつましいミシンで、カタカタと縫います。カタカタ、カタカタ。カーテンがゆらゆら。子どもの笑い声、キッチンでコトコトシチューが煮える音。

 そこに、キキーッとブレーキ音がして、自転車で夫が帰ってきます。夫の仕事は大工。近所の叔父の工房で、家具や建具を作るのを手伝っています。つつましい労働者の、幸福な、幸福な生活。「愛してるよ、君は本当に美しいね」と妻の腰に手を回し、夜は小さなベッドで愛撫しながら眠りにつき、休日は子どもたちをつれてピクニックに行って、青空の下に質素な食事を広げて食べる。映像が見事です。ルノアールの絵画そのものの、光と陰影。淡いまどろみに満ちた色の洪水。笑顔と愛情あふれた、「幸福」という名の家族がここにあります。
 どうですか? この光景、文字で表現しただけでも、目に見えるようでしょう? 素敵よね、。うっとり。

 そうなんです。これが、「幸福」のかたちなんです。私たちの頭の中にインプットされた、「幸福」という名の映像。「しあわせ」という名の大いなる幻想。私たち女の子は、誰もがこんな幸福の映像の実現を、心のどこかでずっと持ち続けているのではないでしょうか。
この映画の主人公の夫婦は、そんな幸福を具現する手札をたくさん持っていました。ところが、常に幸福でいたい夫は、ある日別の幸福の手札をみつけてしまいます。それは、若くて美しい愛人という手札。仕事先の町でであった、妻とは正反対の性格のこの女性を、夫はいとも簡単に愛人にします。そして彼は言うのです。「ああ、僕は本当に幸福だ」。
 妻との生活、愛人との逢瀬の両方の幸福の手札を、両方欲しい! と無邪気に喜ぶ夫に、女たちは答えようと努力します。こんな事態に陥っても、映像として映し出されるのは、すべて、すべて幸福な場面なのです。

幸福の仮面をかぶった現実は、しかしそう簡単に持続することはできません。物語後半、事態は一気に進展します。「愛人がいてもいいわ。私は幸福よ」といつもと変わらぬ笑顔を見せていた妻が、死んでしまう。この「妻の死」というほんの数分だけが、この映画がドラマ性を帯びる一瞬です。
 さて。その数分の「妻の死」のあと。風景は一気にもとのトーンに戻ります。森のピクニック、愛し合う夫婦、かわいらしい子どもと、花とレースのカーテンが美しいあの小さな愛おしいマイホームの日々。ただ一つ違うのは、「妻」の場所に愛人だった女性がいることだけです。妻が入れ替わっても淡々と続く同じ「幸福」の風景がそこにあります。そんな幸福な風景を、彼は満足げに眺め渡します。幸福に満ち満ちた彼の表情。物語は、そこで終わります。

 ぽかん、と見終わってしまう人もいるかもしれません。もしそうだったとしたら、あなたは心底お気楽な人です。笑。「幸福」とは何なのか。ここまでシニカルな冷静な目で切り込みながら、全編を通して美しく穏やかな映像で満たされた映画を、私は他には知りません。

 誰もが幸福になりたい。その思いに変わりはありません。では、幸福になるためには何をしたらいんだろう? 幸福はどんな形をしている? 実はそんなもの、誰もわかりゃしないわけです、ほんとはね。だって、幸福というのは「感じる」もので、それはその人の心の中の問題なのだもの。何を手に入れたから幸福、なんて公式はどこにもない。大切なのは幸福を感じることのできる心の目を持つこと。私はこういう目を持っている人のことを、「しあわせぢからのある人」と呼んでいます。しあわせぢからがある人は、どんな境遇にいても、どんな暮らしをしていても、日々の中にしあわせを感じて生きることができる。それは、その人が住んでいる家、着ている服、ついている仕事や、結婚したパートナーとはさほど関係がないものです。

「結婚」と「家族」という衣装をまとった「幸福」の形を確認するために、人は何らかの手札を必要とするのではないでしょうか。家族であるために、幸福な夫婦でいることで安心するために、人はそれぞれ自分が思い描く「家族の幸せ」の形を集めては、その絵の中に納まっている自分を確認して安心する。
だから、休日のディズニーランドには人があふれ、海浜公園ではさしてうまくもないバーベキューの肉をほおばる家族が絶えない。違う?

だから、私にはこの「幸福」という映画のはらむ、強烈にシニカルな、そして考えようによっては身震いするほど恐ろしい「幸福」の形が、しみじみ心に染み渡ります。この映画を一言いえば、そうだなあ。「美しく、幸福で可憐な毒りんご」。最後のシーンを見ているうちに、私は心の底から「苦笑い」がこみあげてきました。こんな苦笑いをしたのは、久しぶりです。おかしくておかしくって、皮肉で皮肉で、そして妙に爽快。恐るべし、アニエス・ヴェルダ。

同じように、「幸福の手札」を集めつつ、「家族」という因果な幻想を追い求める滑稽さ、哀しさを描いた映画に「空中庭園」があります。
空中庭園 通常版 空中庭園 通常版
小泉今日子 (2006/05/26)
ポニーキャニオン

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こちらは、小説のほうが断然シニカルです。そして、母と娘という因果で深い関係に切り込んでいるのも、小説。
空中庭園 空中庭園
角田 光代 (2005/07/08)
文藝春秋

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映画は男性の監督が作ったことで、もうちょっとシンプルでわかりやすいものとなりました。それでも、「家族」の形をした幸せとは何なんだろう? と考えるには十分見ごたえのある映画だと思います。できれば小説を読んで欲しいけれど、でも、小泉今日子と大楠道代の親子は、なかなか興味深いと私は思います。

 さて、では私は、余計な手札集めにあくせくすることなく、でこぼこの自分の今日の暮らしの中で、せっせとしあわせぢからを磨くこととしましょうか。
 

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コメント

「いや~庶民でよかった~。」と読んでいて思ってしまいました。(笑)
私が集めた手札は*まともな家族*より*笑える家族*に向けてだったのかも。
夫婦の危機ってのをパッチギで立て直した妻にはフランス妻の忍耐強さはないので
「本当は忍耐強くなんかないので、女は我慢しない方がよろしい。」が今のところの結論です。

しょみん~

あははは。手札というのは、ほんとにひとそれぞれあるよねえ。人の数だけ、家族の形があり、暮らしの形がある。
手札集めてもしあわせになれないことにやっと気づいたんだけど、手札集めにやっきになってしまったのは、それがないと家庭生活そのものが成立しなかったせいなのかもしれない。、
いずれにしても、今の暮らしは穏やかで幸せに満ちていて、あたしゃしあわせでよかったよ! で、ここの手札には「1本のビール」ぐらいがありゃいいってことで、ああ、よかった>笑

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