スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私の好きなエロス映画ベスト3

今日のテーマは「エロス」です。

私にとってのエロスな映画ベスト3。

私は昔からAVが苦手でした。いまでも苦手です。ちっともそんな気持ちになれません。男性視点から作られると、こうなるのか。これって女性としてはまったく望まないことばかりで、まったく気持ちよくないことばかりではないの。
ってか、これがセックスと刷り込まれた場合、ちっとも気持ちよくやさしい気持ちにもなれないまま、愛情とセックスを混同して行為に甘んじる女性が増えないの? 最後にはそんな風に腹がたって終わり。 ほんと、作ってる人たちって貧しいセックスしかしたことないのね。かわいそうに。なーんて思って溜飲を下げる。


とはいえ、女性と男性とでは決定的に構造が違います。エロスのありかも、とても違う。だから、映画でも「ああ、これは素敵」と思う場面は、たぶんとっても違うと思うのです。で、この手の本能を満足させてくれる映像は圧倒的に男性視点のものが多いので(いやらしいとか、Hだとかそういうスケベ心という意味ではなくて)人間にとって大切な「理性や言葉を超えて本能が呼応する瞬間」っていうのを映画の中にみつけると、だから私はすごくうれしくなるわけです。ああ、これが私だ。これが女としての私の根っこなんだ、と。

映画で、最初にそんなえもいわれぬ体験をしたのは、この作品でした。
ピアノ・レッスンピアノ・レッスン
(1998/01/21)
ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル 他

商品詳細を見る


はじめて見たとき、激しく揺すぶられました。主人公は、6歳の時に「話すのをやめた」女性エイダ。ホリー・ハンターが抑圧された彼女の内面を怪演しています。文明の届かないニュージーランドの未開の島に嫁いできたエイダ。彼女は娘を連れて、首も、手首もきっちりと黒い衣装をまとって何もない海岸に降り立ちます。
この時代、子連れで未開の地への輿入れ。冒頭からこの結婚が身売り同然の、愛のない契約であることが見てとれます。砂浜にぽつんと置かれたグランドピアノ一台の静謐な映像は、この映画でもっとも有名なワンシーン。なんともいえぬ、象徴的な映像です。


さて、このあとに続く映像に、当時30代の私はノックアウトされてしまいました。きっちりからだを包んだ黒いドレスで、彼女は嫁ぐ家までの道のりを歩いていきます。うっそうと茂る森林、霧のようにまといつく湿気と雨、そして足元は、ずぶずぶのぬかるみです。ドレスの裾が、あっという間に泥まみれになっていきます。ぬかるみを歩く音、汚れていくドレス。

ぬかるみはさらに深くなります。ここで、寸分の隙もなくまとっていたはずの黒いドレスから、突然彼女の白い足首と、ふくらはぎに続く木綿の白いレースの下着が画面を横切るようになる。ぬかるみは容赦なく、その足と白い下着を汚していきます。私にとって、この映像はもう、衝撃に近いインパクト。言葉を持たない彼女の無言の世界。あるのは、ぬかるみのずぶずぶという音と、熱帯の茂みの中の圧倒的な湿気、そしてマイケル・ナイマンの静かな力のある音楽だけ。理性を超えて、からだの奥底が反応するのがわかります。ああ、なんて上手。


ジェーン・カンピオン監督のまなざしは、女性にしか感知できない、こうしたえもいわれぬ感覚に満ちています。映画は、この未開の地での淡々とした日々を描きながら、主人公エイダが最後に言葉を取り戻すまでの過程を描いています。
彼女が、顔に刺青までしている現地の粗野な男、ハーベイ・カイテルになぜこころとからだを開いていくのか。このプロセスの描写は、男性には理解しずらい世界なのかも。特別Hで過激な描写は一切ありません。でも、私にとって彼女の繰り返されるピアノ・レッスンのシーンは、極上のエロスを味合わせてくれた特別なもので、これをもってして、自分がAVでなぜまったく気持ちよくなれないのかがよくわかった気がしました。


エロスって、行為そのものではなくて、そこはかとなく漂う空気感のようなもので、そこには液体や気体や固体が渾然と入り混じっている。頭でも、知性でも、からだでもなく、そんな空気感に触れるような部分に自分の感性が反応したとき、自分の中に眠る性の根っこのようなものが反応してエロスが生まれて、そこに愛する人がいれば、結果として本能とからだが融合して性行為という共同作業につながっていく。結果のひとつであって、それって目的じゃないんだよねー、と。

映画のラストでは、彼女が未開の地で必死で守り続けたグランドピアノが、ある結末を迎えることになります。最後に感じる感情はひとそれぞれですが、私にとっては大きなカタルシスが残った映画。言葉と文明と性と抑圧。そして海と密林と湿気とぬかるみ。ピアノレッスンに秘められた女性のエロスの視点は、私にとって忘れがたい体験でした。


さて、そんな私が女性のエロスには液体と気体と固体が入り混じっている、、、ということを、さらに実感したのがこの映画。
薬指の標本 SPECIAL EDITION薬指の標本 SPECIAL EDITION
(2007/03/23)
オルガ・キュリレンコ、マルク・バルベ 他

商品詳細を見る


小川洋子さんの同名小説を、フランスのベルトラン監督が映画化。この女性監督はエコールという作品も撮っています。こちらはかなりロリータ系の危うい性の世界ですが、女性ならではのエロスの視点が確固としてある監督で、彼女の作った「薬指の標本」の世界は、日本とフランスという人種を超えて原作の持つ世界をかなり忠実に再現しただけでなく、原作にはなかった強烈なエロスの世界を映像に持ち込みました。とてもよくできた美しい映画。この映画では、「靴」というエロスの道具が大きな役割を担っています。この靴の役割については、ここでもちょっと書きました。


加えて、ここには「失くした薬指の先」と「標本」というメタファーも隠されています。使われなくなった女子寮の地下の浴室で靴だけを履いたまま繰り広げられる、主人公と標本師の静かで過激な性行為。この抑圧された中に生まれる強烈なエロスの萌芽は、その後現実を生きられることなく「標本」という行き先にたどり着くことになります。若い女性にとっての心とからだが融合する前の性の形。うまいです。

加えて、映画にたゆたうこの強いエロス感は、多分にこの女性監督の感性によるものなのだと思います。エアコンが壊れた標本室で、常にからだじゅうにじっとり汗をかいては手のひらでぬぐう主人公の描写が、秀逸です。寂しい港町で借りたホテルの一室で風にたゆたう一枚のスリップ、試験管の中に眠るきのこ、たずねてきた少女の持つ傘からしたたりおちて、標本室に大きな水溜りを作る雨の質感。液体も、空気も固体もが渾然と入り混じった女性的なエロスのありかが、本当に上手に表現された映画。大好きです。


はて。でも女性のエロスって、こんな風に詩的なものばかりじゃありません。おおらかに、まっすぐはじけていく性の欲望ってのもあるわけで。私にとっての「映画の中で一番好きなセックスシーン」を演じたのは、この映画の中のジュリエット・ビノシュでした。

存在の耐えられない軽さ(1枚組)存在の耐えられない軽さ(1枚組)
(2007/12/07)
ダニエル・デイ・ルイス、ジュリエット・ビノシュ 他

商品詳細を見る


えっと、ジャケットにつられて、で、ジュリエット・ビノシュのセックスシーンが好きなんていう話題につられてHな映画だなんて思って見ると、痛い目に合いますので(笑)念のため。原作はあのミラン・クンデラ。舞台は激動の時代のチェコです。見られた方も多いはず。重く、長いです。

ジュリエット・ビノシュは大好きな女優さんの一人なのですが、この映画の彼女は秀逸。まっかなほっぺをして、白いソックスをはいて、ぶっといふくらはぎにごっつい肢体。およそ「エロス」とは程遠い存在感の彼女が主人公ダニエル・デイ・ルイスと繰り広げるのは、健康な性欲にまっすぐ突き進んでいく若くて明るいセックスシーンです。
もう、彼のことが大好きなんです。大好きだから、服なんて中学生の着替えシーンのようにあわてて脱ぎ捨てて彼に突進していく。抱きつき方だって、主人が帰ってきて飛びつく犬みたいです>笑。そんな彼女が、真っ白い大きなズロースで、白いソックスをはいたまま、大好き! と飛びついて元気なセックスをするシーンは、いつ見てもなんだか晴れ晴れとした気持ちになれます。


エロスとからだが、こんな風にきちんとまっすぐつながってるって、とても健康的だなあ、と。それでいくと、なんだかまっすぐつながらない女性たちのエロスを描いたのが、最初の2本だったわけで、まあそんな風にからだとまっすぐつながらないエロスってのも、文化としてはとってもおもしろくて魅力的。

でもさ、やっぱり誰だってまっすぐで健康的な性をちゃんと満喫したいわけなんですよね。でもね、その前提には信頼できるパートナーシップや心の交流と愛情がどうしても必要で、それは男性視点でAVなんかで語られるセックスという単体の行為とは、様子が違うように思うのです。単体でOKっていう女性もいるんだと思うけど、少なくとも私は単体ではNGです。


ま、この映画は後半でとてつもない重い現実に突入していくし、主人公のダニエル・デイ・ルイスはすっかり倒錯した性世界に埋没したりもします。映画としてのエロスというよりも、ジュリエット・ビノシュの存在感がとっても好きな映画です。


最後に男性視点の性への大きな危機感と憤りを感じた映画をひとつ。
SEX アナベル・チョンのことSEX アナベル・チョンのこと
(2001/08/03)
グレース・クェック、ジョン・ボーウィン 他

商品詳細を見る


シンガポール生まれのポルノ女優アナベル・チョンが、10時間で251人の男性とSEXしギネス記録を樹立した際の映像を中心としたドキュメント映画です。スケベ心で借りる人がいてもいいです。でも、この中身はどうしようもなく痛い、一人の少女の記録。
松田聖子が壊れたような風貌に、宇多田ヒカルのしゃべりかたを持つ、小柄で貧相な肢体のアナベルは、冒頭ひと目でかなり不安定な背景を抱え持った子だということがよくわかります。性的な抑圧がとても強いシンガポールで厳格に育ち、その後イギリスに渡ったところで地下鉄構内で6人に輪姦された彼女は、その後南カリフォルニア大学でウーマンリブの視点から「女性は自分の意思で自分のからだを売り物にすることができる」という大義名分のテーマを手に入れて、その研究過程の中でポルノ女優になっていきます。

自分の意思。その証明のために「10時間で300人とセックスする」という挑戦に挑んだ彼女。さて、果たしてその証明はどんな結果になったのでしょうか?


女性の性を売り物にする性産業。自分の意思、という出発点から彼女が始めたことは、結局そうした産業の中で食い物にされ、残ったのはぼろぼろに傷ついた彼女一人でした。自傷行為を繰りかえした後、彼女はポルノ業界から一切の身を引いていきます。ネットで検索して調べてみたところ、今はシンガポールでIT関係の仕事をしているそうです。過去は一切封印されたままで、自分がアナベルであったことさえ、一切触れないという今の彼女。


このドキュメントはこうしたアナベルの軌跡を淡々と描いています。だからいろいろな見方をする人もいると思うけど(単なるスケベ心で満足する人もいるでしょう。ただ、251人とセックスをしているアナベルのシーンを見て興奮する男性がいるとしたら、私は心底軽蔑しますけどね)、私にとっては心の奥底の大切な部分をずたずたにされるような経験をしたドキュメント映画。痛い、痛い映画です。

おおらかに性を語りたいなあと思います。
でも、いつの間には性はまっすぐではなく、ぐにゃぐにゃ曲がりくねって、迷路に迷い込んだような情報ばかりが子どもたちの手に届くようになりました。たぶん、このブログの文章にちりばめられた単語はネットで拾われて、いやなH系コメントがいっぱいつくのは必須という気もします。せっせと削除するしかありません。


身の回りのエロスを楽しみながら。愛情を根っこにした健康的なセックスができる。
そういう大人になってほしいと切に思います。

そういう健康的なコミュニケーションがちゃんとできるようになるためにも、女性の視点も大切にした健康的なエロスについて、もっともっと語れる場が増えて欲しいなあとも思います。ま、一時期に比べたら増えてもいるんだと思うけど、当の女性自身がまずは「自分を愛せる健康的なこころとからだ」を持っていないと、あかんのです。現代は、そういう意味で不健康な人間が増えているように思います。

ああ、また長くなっちゃったよ。ごめんなちゃい。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:

FC2Ad

ネット通販

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。