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母と娘の呪縛

愛と追憶の日々ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密ホワイト・オランダーバイバイ、ママ

 母と娘の間には、時として大きな確執が生まれます。

 男性にはわかりにくいかもしれません。また、実際に女の子を育てている母親の側でも自覚されないことも多い。生育過程で何らかのトラブルがあったとか、性格や考えかたの違いにより、いさかいが絶えず相手をうらむような形で起こる親子間の確執もありますが、母と娘の確執の特徴は、「仲良し親子」「姉妹のような親子」として成立しながら、水面下で静かに壊れていく形を取ること。いやあ、これがね。怖いのよ。ほんとよ。

 こうした密着型母子関係が引き起こす多くの問題は、実は近年になるまであまり注目されていませんでした。フロイドやユングの時代が扱ってきたのは、封建的な家族間での支配や抑圧によって起こる精神疾患が中心だったわけですが、その後、家族はどんどん新しい形に変わっていきます。親子は平等になり、核家族化が進み、「家」の概念は希薄になる。これはヨーロッパもアメリカも日本も同じ。
 こうした変化の中で、それまでの心理学が扱ってこなかったような問題が親子間に芽生え始めることになる。とはいえ、現実に起きていることと、それを研究する学問との間にはタイムラグが生じますから、最初のころはみな「何がおきているのかようわからん」という空白の時期があるように私は思うのです。心理学の黄金期には扱いきれなかったような問題がどんどん起きているのに、相変わらず教授と学生は基礎から前時代の心理学をお勉強していたわけで、この間にフォーカスされなかったさまざまな問題が、1970年後半ぐらいからあれこれ話題に上るようになりました。

 この微妙な時期に作られたのではないかと思われるのが、この映画。
愛と追憶の日々 愛と追憶の日々
シャーリー・マクレーン (2006/11/02)
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン

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1983年、アメリカ映画です。
 さて、この映画。機会があればぜひ見ていただきたいなあと思うのですが、同時に、この映画に寄せられる感想やレビューにも注目して欲しいのですわ。最近はアマゾンでも、TSUTAYAのオンラインレンタルDISCASでも、MIXIでも映画レビューを見ることができます。どうでしょう。誰もが賞賛の嵐です。「母の強い愛に感動した」「こんな親子に私もなりたい!」「涙が止まらない感動超大作」と。

 主役の個性的で支配力の強い母親にシャリー・マックレーン。娘役はデブラ・ウィンガー。以前紹介した「デブラ・ウィンガーを探して」は、この映画のあとに「愛と青春の旅立ち」に出演したのち、すっぱり引退して家庭に入ってしまったデブラを、ロザンナ・アークウェットが追った映画です。
 まだ若いデブラは、可憐で従順な娘役をうまくこなしているし、マックレーンは相変わらずの存在感。

 これはこの母と娘の関係を追ったこの映画。若いころに夫と別れて、女でひとつで娘を育て上げたシャーリーは、きまぐれで魅力的で意志の強い風変わりな女性として描かれています。母と娘は典型的な「仲良し親子」。結婚式を控えた娘はすべてを母親に報告し、ハネムーンのベッドから母に電話をかけ、日に何度となく連絡を取り合っては、お互いの日常を確認しあっていきます。やがて母には恋人ができます。ここはとても有名なシーン。母と娘はベッドに並んで、赤裸々にセックスの話をします。「セックスってサイコー!」と叫ぶ母に、驚きながらも大笑いする娘。当時、これは衝撃的なシーンでした。お互いのセックスまで話し合える母と娘。これまでなかったがゆえに、好意的に受け止められたのだと思いますが。さて。さて。


 多くのレビューや感想で、この親子関係は賞賛され、「こんな親子に私もなりたい」と思う人はたくさんいるようです。確かに、ほほえましい親子関係ではあるのです。でも、私が気になるのは、果たして作り手側はこうした意図でこの映画を撮ったのだろうか? ってこと。

 この映画、武蔵野婦人的に観れば典型的な「支配的な母親とそれに従う娘」のパターンで、それでいくとこの娘は正真正銘のAC(アダルトチルドレン)です。見方を変えると、「支配的な母親と従順な娘」のバランスが、娘の結婚(母親が気に入らない男性とあえて結婚することで家を出る=初めての大きな反抗をする)によって崩れていく映画。
 で、結局最後は娘は自分の人生をまっとうできず、結婚生活が破綻したあとに病で夭逝し、母親は恋人を得たあとに、娘の残した子供を得る。親子とも必死に生きて、双方の愛情もしっかり描かれています。でも実際にはグレートマザーが娘を食っちゃうという、とってもとっても怖い映画なのよ。(ま、そんな見方をしている私は、感動している人たちから観れば、なんとひねくれたやつだ! ってことになるんだろうが)。


 この映画が作られたのが1983年。アメリカあたりで現場のケースワーカーたちが、アルコール依存症やDVのある家庭で育った子供たちに現れる典型的な症例をACと呼び出したのが1970年代の初頭。このACがさまざまな形で社会現象となり、多くの本が出版されはじめたのが、1980年代初頭でした。
 その中でも、私が鮮烈に覚えているのがこの本です。
愛しすぎる女たち 愛しすぎる女たち
ロビン ノーウッド (2000/04)
中央公論新社

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 それまで、アルコール依存症などの機能不全の家庭にだけ起こると考えられていた問題を、「密着しすぎた母と娘の関係」のフォーカスしたという意味で、私にとっては大きな印象を残した本でした。つまり、一見仲良くみえる親子の関係の中にも、過剰な支配や密着によってさまざまな問題が発生しうる。支配する母親との間に共依存の関係ができると、娘は自分の人生を生きることができずに、うつ状態に陥ったり、自分自身の結婚をうまく維持できなくなることがある。

 さて、この本の日本の出版が1988年。アメリカでの初版本の出版年が定かでないのですが、さほどタイムラグはないようです。
 ね。微妙でしょ。AC概念の普及は1970年代後半だけど、これが母子関係に敷衍されはじめたのは80年代後半。この映画は1983年。むふふ。

 この映画、共依存の母子を確信犯で描いたんでしょうか。それとも、封建的な家族関係が変容しはじめた70年代のアメリカで、急速に増え始めた「ともだち親子」の存在を好ましく思って、作り手も純真無垢に母と娘の愛情物語のつもりで作ったんでしょうか。かなり、かなり興味のあるところです。
 この映画の監督はジェームス・L・ブルックス。ほかの作品には「恋愛小説家」「スパングリッシュ」。うーん。ねじれのないまっすぐな監督さん。ストレートな表現の奥底に潜む社会問題をあぶりだすような手法は、取らない人でござると思う。というわけで、あたしとしては、純真無垢に作ってみてそれにみんなが大感動した! ってシナリオに座布団1枚。
 つまりは、みんなが大感動するような「仲良し母と娘」の関係性は、当時は新鮮で素敵なものに映って映画にもなったけれど、そこには大きな問題も潜んでいた。その問題が、その後少しづつ見え始めてきた、ってことなのかもしれません。

 で。だとしたら、こうした中に潜む母と娘の共依存関係というのは、ほんとにほんとに怖いものだなあ、と思うわけです。だって、この作品にいまだに大感動している人たちがいっぱいいるわけです。見え方が違うと、ほほえましい美談と映ることもあるわけで、どちらかといえば精神的負担をかぶりがちな娘のほうは、そうした「母子の美談」の期待にこたえるために、またまたがんばらなくちゃならないわけですから。たぶん、いまも必死にがんばっている娘たちが、世の中には結構いるようにも思います。



 さて、この映画が作れらてから24年。密着型母子が生み出すさまざまな問題は、広く、大きく取り上げられるようになってきました。真っ向からこうした母親と娘の関係にフォーカスした映画も、多く撮られるようになってきました。
前作との対比で観ると面白いな、と思うのがこの作品です。
ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密 特別版 ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密 特別版
サンドラ・ブロック (2005/03/25)
ワーナー・ホーム・ビデオ

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 娘役にサンドラ・ブロック。前作、デブラ・ウィンガーに比べて、意思のある強い主人公で、社会的な地位もしっかり持っているのが、大きな違いです。このお話は、もとは児童文学としてアメリカでベストセラーになったもの。ま、結果的には母と娘の愛情物語なわけですが、ここではサンドラ・ブロックを、母親との関係の中で「うつ状態を恒常的に繰り返し」「自身の結婚に恐怖を感じてなかなか踏み切れない」女性として明確に描いています。
 彼女の抱える現実の問題が、母親との関係や出来事に起因していることを明確にした上で、母親の隠された過去をたどっていくことで、和解して新しい一歩を踏み出す。母親の生きた封建的な時代の病理や、児童虐待にも通じる彼女の言動、育児ノイローゼ・育児放棄など多くの要因を絡み合わせた展開はなかなか見ごたえがあります。が、結果的にはハッピーエンドなお話。この主人公の精神面の描き方は、明らかに前作の「愛と追憶の日々」から24年の隔たりを感じるものがあります。
 そして、何らかの「生きづらさ」を感じている女性がいるのなら、自身の生い立ちや親子関係にふたをせずに、しっかりそこに向き合って乗り越えることで、一歩が踏み出せることがあるよ、と。この映画が明るくハッピーエンドを迎えることでそんなメッセージを感じるのも、また好ましいなあ、とは思います。

 ま、ただね。武蔵野婦人的に言わせてもらえば、結局最終的には「娘が母親の生き方を受け入れる」解決なんですわ。猛烈にマイペース、人の気持ちお構いなし、パワフルでわがままというこの強烈かあちゃんは、最後まで自身の道を貫き、自分がどんなに苦悩したかを娘に提示するだけです。娘が受けてきた仕打ちは、こうした母の生き様を提示されて帳消しになり、それを受け入れるのは、娘。
 結局、強烈な母と従う娘の関係は、最後までこうなのかもしれません。そして、両者痛みわけでハッピーエンドにつながる可能性はあまり高くない。親子の関係に気づいて娘が歩み寄って和解を求めても、逆に傷つくパターンもある。この映画で母と娘が和解できたのは、ひとえに母親の側の親友たち=ヤァヤァ・シスターズという第三者の介入があったからです。そんな視点でこの映画を見てみるのもおもしろいかもしれません。
 結局は、一番賢明な選択肢は、へその緒を切って距離感を置く練習をすることしかないように思います。それだけ、母と娘の確執は根深く、母の力は偉大で美しい反面、強力な破壊力も持っているということです。自分が母となったいま、こりゃもう深く心に刻んで、日々精進ですな。


 最後に、こうした「美談にもなりうる」部分をまったく併せ持たない、破壊力のみにフォーカスした怖い母の映画も紹介しておきましょうー。

ホワイト・オランダー / ミッシェル・ファイファー

バイバイ、ママ / キラ・セジウィック

 ACとか共依存などという生やさしいものではありません。変質的執着を子供に対して持ってしまった母親の話。怖くて、痛いです。でも、果たして自分の中にこうした要素がゼロかというと。うーん。どこかで「わからなくもない」と答える細胞が眠っているようで、母親としての自身に身震いすることもある武蔵野婦人ですわ。

 前作2本を見て心から感動し、上記2本を見て、何がなんだかよくわかんないけど、そんなおかあさんも世の中にはいるの? こわすぎー! なんて思えた人は、とてもとても恵まれた親子関係の中に育った人です。自身の環境に深く深く感謝して、自分の子どもをおかあちゃんパワーの犠牲者にしないように、十分距離感を持って育てて行きましょう!
 

 

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